2008年3月14日、唯一の寝台急行である<銀河>が最後の旅に出ます。
誕生以来ずっと東海道夜行の先駆者として、東京と大阪を結び続けてきました。
東京、大阪ともに新幹線の最終が発車したあとの出発で、利便性は大いにあると思うのですが、
利用者の減少には歯止めがかからず、ついに60年にわたる歴史に幕を下ろすこととなりました。
ここでは2008年3月に惜しまれつつ廃止となる<銀河>について取り上げます。
- 寝台急行<銀河>概要 -
運転区間  東京〜東海道本線〜大阪
列車編成 24系25型客車6両編成+電源車(JR西日本 宮原総合運転所所属)
多客期は2両増結し、24系25型客車8両編成+電源車
牽引機 EF65 1000番台(JR東日本 田端運転所所属)
列車番号 東京→大阪:101レ  大阪→東京:102レ
- 沿 革 -
1949年9月 東京〜神戸を結ぶ夜行急行<銀河>として登場。
急行列車では初の列車愛称で、テールマークは現在も変わっていない。
1956年11月 東海道本線全線電化が完成。
1965年10月 運転区間を電化が完了していた姫路まで延長。東京〜姫路運転に。
1967年10月 寝台客車を投入し、寝台列車化。
1968年10月 東京〜大阪運転の<明星>を統合して2往復運転に。
1972年3月 山陽新幹線岡山開業により、大阪〜姫路を廃止。
1975年3月 1往復を東京〜米子運転の<いなば>に格上げ。再び1往復体制に。
1976年2月 20系客車に置き換え。
1984年2月 東京着のダイヤを現行の6時台に早める。
1985年3月 編成を20系客車から14系客車に置き換え。 
1986年11月 24系25型化。
1998年7月 臨時<銀河81・82号>のスジを利用して285系<サンライズゆめ>運転。
2001年3月 編成を1両減らし、現行の6両編成に。
2008年3月14日 最終列車運転。廃止へ。
60年近くに及ぶ寝台急行として活躍してきたが、ついに幕を下ろす。
- 運転ダイヤ -

駅 名 ▼ 下 り ▼ ▲ 上 り ▲
最終のぞみ 銀 河 始発のぞみ 最終のぞみ 銀 河 始発のぞみ
東 京 21:20 23:00 6:00 23:45 6:42 8:26
品 川 21:27 23:08 6:07 23:39 6:35 8:19
横 浜 21:38新横浜 23:26 6:18新横浜 23:28新横浜 6:18 8:08新横浜
大 船 23:42 6:03
小田原 0:15 5:32
熱 海 N700系 0:37 N700系 N700系 5:10 N700系
沼 津 のぞみ163号 のぞみ1号 のぞみ100号 4:50 のぞみ52号
富 士 4:29
静 岡 1:45
名古屋 22:57 7:37 22:10 0:58 6:50
岐 阜 5:01
米 原 5:46 23:53
大 津 6:33 23:09
京 都 23:32 6:44 8:12 21:34 22:58 6:14
新大阪 23:45 7:13 8:25 21:20 22:28 6:00
大 阪 × 7:18 × × 22:22 ×

- 列車編成 -
← 大 阪                                        東 京 →
電源車 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車
カニ
〜 基本編成 〜 〜増結編成 〜
JR西日本宮原総合車両所(網干総合車両所全検)所属24系25型客車
- <銀河>写真館 -
大阪駅に到着した寝台急行<銀河>
撮影地:大阪駅   撮影日:2005.12.21
東京むけての発車準備が整った寝台急行<銀河>
撮影地:大阪駅   撮影日:2006.8.5
牽引機は全区間に渡って田端のEF65が担当
撮影地:大阪駅   撮影日:2006.8.5
東京駅に入線する寝台急行<銀河>。入線は22次23分ころ。
撮影地:東京駅   撮影日::2008.2.16
大阪方へ連結された牽引機のEF65
撮影地:東京駅   撮影日:2008.2.21
東京駅で今夜の乗客を迎え入れる
撮影地:東京駅   撮影日:2008.2.21
登場以来1度も変わっていないテールマーク
撮影地:東京駅   撮影日:2008.2.21
ホームに横付けされたブルーの車体はやはり風情がありますね
撮影地:東京駅   撮影日:2008.2.21
「銀河」「急行」「大阪」。<銀河>廃止後これらの表示を東京駅に掲げる列車はない。
撮影地:東京駅  撮影日:2008.2.16
<銀河>も大垣夜行も歴史は古いが、もう<銀河>の表示が灯ることはない。
撮影地:東京駅   撮影日:2008.2.16
A寝台の下段(上写真)と、上段(下写真)
撮影地:寝台急行<銀河>車内  撮影日:2008.2.21
A寝台の一角には喫煙コーナーとして寝台ではなく座席状態のまま残されている。
撮影地:寝台急行<銀河>車内  撮影日:2008.2.21
B寝台の下段(上写真)と、上段(下写真)
撮影地:寝台急行<銀河>車内  撮影日:2008.2.16
東海道の駅を次々と通過してゆく
撮影地:寝台急行<銀河>車内(国府津駅通過中)  撮影日:2008.2.22
- Virtual Tour -
<銀河>の旅。旅立ちは東京駅から。
言わずもがな<銀河>の辿る東海道本線の起点であり、
日本を支える一大幹線の起点として風格ある
レンガ造りの駅舎が丸の内側に構えています。
現在は工事中で、周囲を柵が囲ってありましたが、
それでも東京駅としての威厳は十分すぎるくらいです。
<銀河>は東京駅東海道線10番ホームから発車。
9、10番線からは一部のライナー列車があるものの
22時以降<サンライズ><銀河><ムーンライトながら>の
夜行3本に限られ、ホームには大きな旅行カバンや
お馴染み東京ディズニーリゾート(TDR)グッズを
持った人が多く、ベンチに座り入線を待っています。

そうそう、新幹線最終が出たあと発車となる<銀河>は
TDRを存分に楽しむにはもってこいなのですがね。
新大阪への最終新幹線は東京発が21時20分です。
<銀河>なら夢の国の余韻に浸ることも可能なはず…

さすがにこの日は18きっぷシーズンではないので
<ながら>指定席にはまだまだ空席があるようですが、
「本日銀河号全てのお席でご予約を頂いております」。

<ながら>ではたびたび聞くような放送ですが、
今日は木曜日にも関わらず<銀河>も満席だそうです。
実際A寝台もB寝台も9割以上席が埋まっていました。
電車特急<サンライズ>と違って<銀河>は客車編成。
かつて<出雲>が走っていたころは行われていなかった
機回しが行われるため、入線は早めで22時22分。
ちょうど東京行上り<銀河>が大阪を発車した時刻です。

田端の車両基地からEF65牽引で10番線に入線。
ホームには一般客でもカメラをむける人が多く、
盛んに「フラッシュはおやめください」と駅員さんも連呼。

停車後、機関車を切り離すと客車のドアが開きます。
入線から発車まで30分以上時間がとられているのは
買い物にも撮影にも、うれしい限りです。
昨今では長距離列車でも入線は10分前が当たり前で
発車前に乗り込んでじっくりと旅の雰囲気を
味わうといったこともできなくなりましたねぇ。。。
<銀河>なら今でもその雰囲気を味わうことができます。

発車前までに車掌による検札は済まされ、
発車時にはもうステテコ姿でおやすみという乗客も。
そうかと思えばホームではカメラ片手に走り回る
鉄道ファンの乗客も多く、各自発車までの時間を
思い思いのように過ごしているようです。

その間に9番線を利用して牽引機の機回しが
たんたんと行われており、発車15分前には完了。
発車態勢を整え、あとは発車のときを待つだけです。
23時ちょうど。
「プルルルルルル…10番線ドアが閉まります」
と、ATOS特有の電子ベルと放送が鳴るとドアが閉まり
<銀河>は8時間18分の旅へと東京駅を発ちました。

すぐに車内放送が入りますが、5分で品川着なので
「案内放送は品川駅発車後に…」とのこと。
山手線と併走しながら右手に東京タワーを見ると
大きな車両基地を回りこんでほどなく品川に到着。
横浜を出るとすでに時刻は23時30分。
おやすみ放送が流れ、車内放送も中断となりました。
その間、大船、小田原、熱海とこまめに停車し、
これも<銀河>の急行としての性格を表しているよう。

日の変わった小田原では安治川口行の高速貨物列車
<スーパーレールカーゴ>に道を譲って発車しました。
このあたりまでで大半の乗客は床に就いています。。。
何度か目が覚めるものの寝心地は快適で、
JR東海と西日本の境界、米原には5時40分の到着。
機関士の交代などもあり6分ほどとまります。
なお、機関士は2〜3時間ごとに度々交代しますが、
車掌は全区間にわたってJR西日本が担当しています。

米原を出ると東の方から空が明るくなっていき、
そんな中を<銀河>は大阪むけて走り続けます。
JR琵琶湖線の小駅も一気に通過。。。
大津到着前となる6時過ぎにおはよう放送が流れ、
大津、京都と立て続けにとまると<銀河>の旅も終盤に。

それでも京都からは複々線を走る列車が大幅に増え、
寝ぼけた乗客の目を次から次へと楽しませてくれます。
山崎〜高槻にはこの春開業を迎える島本駅があり、
開業にむけての工事が終盤に取りかかっていました。
新大阪到着前には皮肉にも時を同じくして廃止となる
九州からの<なは><あかつき>とすれ違いました(注)
新大阪での下車客は多く、その新大阪を出ると
すぐに淀川を渡り、終点の大阪はすぐそこです。
「本日は寝台急行<銀河号>をご利用頂きまして…」と
終点、大阪到着を告げる最後の放送が流れます。

通勤ラッシュが始まるころ、大阪駅4番線に到着。
隣りの3番線には青森からの<日本海>も停車しており
2本のブルートレインが大阪駅に並びました。


車内放送の最後に付け加えられたことば。
「<銀河号>またのご利用を心よりお待ちしております」

これに対して、

「もう乗れねぇじゃねぇか…」

と、ボソッとつぶやいた鉄道ファンが印象的でした。
☆☆☆ お断り ☆☆☆
このバーチャルツアーは2月16日乗車分と2月21日乗車分の2回分の写真画像を組み合わせています。
そのため牽引機の番号が異なっていたり、天候が異なっていたりいたしますが、何卒ご容赦ください。
また、2月16日発車分は北陸地方での大雪の影響で15分ほどの遅れをもって大阪駅に到着しました。
そのため、32レとすれ違った旨の記載がありますが、通常ダイヤでは32レとのすれ違いはありません。
なお、車内で撮影した設備画像が多数ありますが、相応の寝台券を所持して乗車の上で撮影しています。
− 最後に −
戦後の復興期から60年にわたって東海道夜行として活躍してきた<銀河>。
無名愛称が当たり前だった急行列車に、初めて与えられた「銀河」の愛称は
1949年の誕生以来ずっとこの東京〜大阪の夜行急行に使用されてきました。
宇宙の永遠性を感じさせるこの愛称は、夜行列車に最もふさわしいものかもしれません。
思えば管理人が初めて乗車したブルトレというのも、また、この<銀河>でした。
初の東京遠征でわくわく感に満ちあふれた管理人を東京まで引き連れてくれた<銀河>には
その愛称のごとく永遠に東京〜大阪の夜行寝台急行として活躍してもらいたいものでしたが、
新幹線の高速化、増発という時代の流れには逆らえないものが、大いにあったようです。
3月15日以降、大阪駅に現れるブルートレインは青森への<日本海>1往復のみ。
「大阪からブルートレインは全滅した」と言っても、それは言い過ぎではないような気がします。
夜行バスの便数が物語るように、東京〜大阪は夜であっても多くの需要がある区間です。
JR側の企業努力によっては起死回生も可能だったはずなのですが…残念でなりません。
ありがとう そしてさよなら 寝台急行「銀河」

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