0系新幹線。
新幹線の名を世界に轟かせたこの列車ほどまでに、美しく、凛々しく、それでいて力強い…
このような名車は後にも先にも、この0系新幹線だけではないでしょうか。。。

2008年12月14日、夢の超特急とうたわれた、0系新幹線が最後の旅に出ます。
1964年の開業時、誰もが体験したことのない時速220km/hの高速鉄道の登場により、
世界中から「SHINKANSEN」として注目を集めた高速鉄道の礎となったのが0系新幹線でした。
「世界最速の営業運転」、「運行の定時性」、「事故による死亡者数0」は
日本の新幹線が持つ輝かしい記録であり、そしてまた誇りでもあります。

1964年から1986年まで38次にわたって累計3216両が製造された0系も、
JR発足後は急激にその数を減らし、2008年現在も残るのは6両編成3本のみ。
その残る0系最後の一陣も2008年11月30日に<こだま>としての定期営業運転を終了し、
12月14日のさよなら運転をもって引退、廃車されることになりました。
ここでは2008年12月に惜しまれつつ引退となる0系新幹線について取り上げます。
- 0系新幹線概要 -
運転区間  1964年10月〜1972年3月:東京〜新大阪(東海道新幹線)
1972年3月〜1975年3月:東京〜岡山(東海道山陽新幹線)
1975年3月〜1990年4月:東京〜博多(東海道山陽新幹線)
1990年4月〜1999年9月:東京〜博多南(東海道山陽新幹線、博多南線)
1999年9月〜2008年12月:新大阪〜博多(山陽新幹線、博多南線)
列車編成 東海道新幹線開業時は12両編成
その後、16両編成に増強され、現在は6両編成のみ
営業最高速度 220km/h(登場時は210km/h)
- 沿 革 -
1963年3月30日 試験車両新幹線1000形電車が鴨宮モデル線区で256km/hを記録
電車方式での世界最速記録を塗り替えた
1964年10月1日 東海道新幹線開通 東京〜新大阪で運用開始
速達タイプの<ひかり>と、各駅停車タイプの<こだま>を設定
最高営業時速は220km/hで当時世界最高時速での運転を実現
東京〜新大阪(552.6km)を4時間で結び、表定速度は138km/h
当時、「0系」という呼称はなく、単に「新幹線電車」と呼ばれていた
1965年11月 東京〜新大阪3時間10分となる(表定速度178.5km/h)
新種別「超特急」の<ひかり>は途中、名古屋と京都にのみ停車していた
1972年3月15日 山陽新幹線岡山開業により岡山へ運転区間を延ばす
山陽新幹線建設時、「ひかりは西へ」というキャッチフレーズが用いられた
1974年9月5日 新幹線初となる食堂車の営業を<ひかり>で開始
1975年3月10日 山陽新幹線博多開業により東海道山陽新幹線が全通
0系は東京〜博多(1174.9km)を運転区間とする
1985年10月1日 100系新幹線が登場し、主に<ひかり>運用につく
1986年 38次車をもって0系新幹線の製造打ち切り
開業以来の22年間で総計3216両が製造された
1987年4月1日 国鉄分割民営化 0系はJR東海とJR西日本に引き継がれる
1988年3月13日 0系に2&2シートのグレードアップ車両が登場
新大阪〜博多の<ウエストひかり>として運用につく
1990年4月1日 博多総合車両所への回送ルートを利用して博多南線が開業
運転区間を博多南へ延ばすが、東京から博多南までの直通運転はない
1992年3月14日 最高時速270km/hの300系新幹線が登場し、<のぞみ>が新設される
その後も大量増備が進み、0系の順次置き換えが進む
1995年12月27日 三島駅に停車中の<こだま475号>で「三島駅乗客転落事故」発生
新幹線開業以来初めての旅客死亡事故(高校生1名が死亡)となるが、
乗客側に過失(駆け込み乗車)があるため「事故による死亡者数0」は継続
1997年3月22日 最高時速300km/hの500系新幹線が登場し、世界最速営業速度を更新
1999年3月13日 700系新幹線登場 現在では最多車両数を誇り、1328両が在籍
1999年9月18日 <こだま473号>を最後に0系が東海道新幹線から引退
以降は山陽新幹線で短縮編成のみが活躍する形となる
2000年3月11日 700系<ひかりレールスター>登場で、0系<ウエストひかり>順次置き換え
2000年4月21日 <ひかりレールスター>増備で、<ウエストひかり>廃止
これをもって0系での定期<ひかり>運用は消滅する
2002年3月頃〜 濃淡グレーにフレッシュグリーンの新色に変更
2007年7月1日 振り子式制御を採用したN700系が登場し、東海道内で所要時間短縮
2008年6月20日 全編成がツートンカラーの復刻塗色に戻される
2008年11月30日 <こだま659号>岡山→博多をもって0系新幹線の定期運用が終了
2008年12月6日 臨時<ひかり347号>として新大阪→博多で0系さよなら運転を実施
2008年12月13日 臨時<ひかり355号><ひかり356号>として広島〜博多で
臨時<ひかり347号>として新大阪→博多で、0系さよなら運転を実施
2008年12月14日 <ひかり340号>(R68)<ひかり347号>(R61)で最後のさよなら運転を実施
347号は「さよなら」の言葉と掛け合わせられたものだった(A9347)
これをもって夢の超特急「0系新幹線」は44年の歴史に幕を閉じた
- 列車編成 -
← 博 多                                        新大阪 →
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車
21 26 25 26 25 22
全車電動車方式(WN平行カルダン駆動方式)
- 0系新幹線写真館 -
細々と山陽路で活躍を続けてきた0系新幹線
撮影地:山陽新幹線 新倉敷〜岡山  撮影日:2008.11.18
秋空の下、最後の営業運転をこなす0系新幹線
撮影地:山陽新幹線 相生〜岡山  撮影日:2008.11.30(定期営業運転最終日)
世界遺産を横目に駆ける機械遺産
撮影地:山陽新幹線 相生〜姫路  撮影日:2008.12.14(さよなら臨時列車運転日)
朝日を背に受け、博多を目指す
撮影地:山陽新幹線 相生〜岡山  撮影日:2008.11.30(定期営業運転最終日)
岡山駅を発車してゆく0系  16両編成対応ホームは余裕たっぷりの6両編成
撮影地:岡山駅  撮影日:2008.11.18
ラストラン当日は多くのファンが駆けつけ、最後の勇姿を見送った
撮影地:新大阪駅   撮影日:2008.12.14(最後の0系<ひかり347号>運転日)
2007年登場のN700と並ぶ1964年誕生の0系新幹線
43年かけて進化してきた日本の新幹線 着実な進歩がうかがえる
撮影地:山陽新幹線 相生駅  撮影日:2008.6.20
最高時速220km/hと300km/hの形状の違いは明らか
撮影地:山陽新幹線 相生駅  撮影日:2008.11.18
0系の横を矢のように飛んでいくN700系
撮影地:山陽新幹線 相生駅  撮影日:2008.11.18
世界最速を造りあげた2つの夢の超特急が並んだ
世界最速300km/h運転の500系も、いずれは抜かれる存在となることが決まっている
撮影地:山陽新幹線 新山口駅  撮影日:2008.11.11
<ひかりレールスター>も九州新幹線全通後は<こだま>へと退くことになっている
撮影地:山陽新幹線 徳山駅  撮影日:2008.11.11
0系原色<こだま>と100系<ひかり> 10年前は当たり前だった光景
撮影地:山陽新幹線 姫路駅  撮影日:1999年3月ころ
0系最後の一陣となったR67編成
撮影地:山陽新幹線 相生駅  撮影日:2008.6.20
廃車となるのは惜しい… 0系とはそれほどの名車である
撮影地:山陽新幹線 西明石・新尾道・東広島駅  撮影日:2008.11.11
2002年から2008年まではフレッシュグリーンで運行された
撮影地:山陽新幹線 姫路駅  撮影日:2005.7.17
0系車内(左上より時計回りに、座席、デッキ、サービスカウンター、洗面所)
撮影地:0系車内  撮影日:2008.11.11
- Virtual Tour 〜0系新幹線 こだま639号の旅路〜 -
東海道山陽新幹線、新大阪駅。
1964年10月1日、朝一番の0系<ひかり2号>は
この駅からはるか600km先の東京へと旅立った。
「世界最速」の高速鉄道誕生の瞬間だった。

それから44年という歳月が流れ、2008年11月30日。
この駅から0系新幹線は消えることになった。

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0系新幹線が走らなくなる日。

そんな日を目前とした11月中旬の平日、
新大阪駅20番線は入線してくる0系新幹線を
待ちわびる人々でごった返していた。


639A<こだま639号>。
太陽の出ている間に山陽新幹線全線を走り通す
0系新幹線運用の<こだま>はこれしかない。

7時47分に福山からの<こだま620号>として到着。
発車わずか12分前の入線とあってはじっくりと
0系新幹線のその姿を眺めていられる時間もない。
車内ではせわしなく折り返しの準備が進められる。


発車3分前になってやっと乗車可能となり乗り込む。
車内は2&2シートが並び、往年の姿とは異なるものの
ゆったりとしたシートで快適に過ごすことができそうだ。
発車ベルが鳴り響き、7時59分に発車。定発だ。
大きく進路を変え西宮の住宅街をやり過ごすと
まもなく山陽新幹線最長の六甲トンネルに入る。
山陽新幹線建設時に最も苦労した区間である。

六甲トンネルを出ると新神戸に到着。
ホームには多くの乗客が待ち構えるが、
その多くがあとの<ひかり391号>を利用する。

次の西明石ではその<ひかり391号>を待避した。
西明石からは広々とした播磨平野を走り、
その区間のほとんどがトンネルである山陽新幹線では
姫路までが唯一トンネルのない区間となっている。
後日、同区間をN700系で通過したが、
田畑の過ぎ去るスピードは0系のとはまるで違う。
時速300km/hに慣れてしまった身の上では、
220km/hが遅く感じられる。慣れというのは恐ろしい。

市川を渡れば右手に世界遺産「姫路城」が現れ、
8時45分、姫路に到着。新大阪から46分を要した。
この区間は新快速でも1時間ちょっとしかかからない。

その姫路では8時55分まで10分停車。
首都圏始発の<のぞみ99号><のぞみ1号>に道を譲る。
通過するのはいずれも最高時速300km/hのN700系。

この時間帯は東京6時に立て続けに発車した
<のぞみ>が山陽新幹線へ達する時間になるので
どうしても他の時間帯の列車に比べて待避も増える。
姫路を出て10分で到着する相生では13分も停車。
<ひかり393号>と<のぞみ3号>の2本を待避するが、
もう何に抜かれようが、そんなことはどうでもいい。
のんびり我が道を行くのも0系の良さである。

相生で道を譲るのはいずれもN700系で、
400mにも及ぶ16両編成の1本の白い矢は
0系の肩をかすめるように颯爽と通過していった。
岡山には9時37分着。1分停車で慌ただしく発車する。
こういった駅で乗り換え可能な緩急接続ができれば
<こだま>の利用者増にもつながると思うのだが。。。

引退間際の3週間に渡り、岡山〜広島では
指定席利用者に乗車記念証が配られた。
岡山からは0系のお面をつけたスタッフが乗り込み
4号車と5号車の乗客に記念乗車証を配っていた。
0系<こだま>はそののんびりさゆえ、
途中駅では通過待ちの停車時間が長い。

しかしそれは惜別乗車のファンにとっては
じっくりと眺められる格好の撮影タイムにもなる。

福山で395A、171Aを、新尾道で453Aを、
東広島で5Aをそれぞれ待避して0系は進む。
肩身の狭くなった夢の超特急0系だが、
車内デッキ部分には往年の姿をおさめた
0系新幹線の写真がいくつか飾られていた。

写真はおそらく浜名湖を通過する0系であり、
東海道新幹線 東京〜新大阪から0系が引退した
1999年以降は見られなくなった光景でもある。
11時01分、中国地方最大の都市広島に到着。
9分停車し、ここでもN700系<のぞみ>に道を譲る。
新山口では500系<のぞみ9号>に道を譲る。
0系引退後は短編成化のうえ<こだま>として
運用されることが決まっている500系。
新下関を出ればすぐに新関門トンネルへ。
0系<こだま639号>の旅もいよいよ終盤をむかえ
本州から九州・博多へと乗り入れてゆく。

小倉からの利用客は意外と多く、
小倉〜博多の区間
博多到着の4分後、となりのホーム14番線には
最新鋭の新幹線N700系<のぞみ11号>が入線。
<のぞみ11号>の東京駅発車は8時10分。
<こだま639号>は新大阪を7時59分に出たから、
このバーチャルツアーは08年11月11日乗車分を中心に、過去撮り集めた写真画像を組み合わせています。
そのため写真によって編成番号が異なっていたり、天候が異なっていたりしますが、何卒ご容赦ください。
なお、車内で撮影した設備画像が多数ありますが、相応の乗車券を所持して乗車の上で撮影しています。
- 最後に -
さよなら…夢の超特急、0系新幹線

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